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ジョーカー

2019

ジョーカー

Joker

2019·映画·122·8.4

あらすじ

笑いを夢見るコメディアン志望の男が、社会の断絶と暴力の連鎖の中でバットマンの宿敵「ジョーカー」へと変貌していく。

AIレビュー

トッド・フィリップス監督の「ジョーカー」は2019年の映画界で最も議論を呼んだ作品だ。ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞(最高賞)を受賞し、興行収入10億ドルを突破(製作費5500万ドルの18倍)、ホアキン・フェニックスのアカデミー賞主演男優賞受賞も話題を呼んだ——しかし同時に、その暴力描写と社会への影響について激しい倫理論争も引き起こした。バットマン・ユニバースのヴィランを原作に持ちながら、コミックブック映画の枠組みを完全に逸脱した作品だ。 物語は1981年のゴッサム・シティ。経済格差と社会の荒廃が進む中、アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は大道芸人として生計を立てながら母の介護をし、スタンドアップコメディアンになる夢を抱えている。神経的な病——感情が高ぶると笑いが止まらなくなる症状——と戦いながら、社会の底辺で何とか生きようとしているアーサーが、連続する暴力と裏切りの末に「ジョーカー」へと変容していく過程が描かれる。 本作の論点は「感情移入できるかどうか」より深いところにある。アーサーが「モンスター」になる過程において、観客は彼の痛みと怒りを理解しながら、同時にその論理の危うさと恐ろしさを感じる——この複雑な立ち位置を設計した脚本の精度が高い。社会から排除された人間が暴力に至る過程を「理解」することと「正当化」することの違いを、映画は意図的に曖昧にしながら問い続ける。ゴッサム・シティの格差と腐敗した警察、1981年という時代設定(レーガン政権初期の格差拡大)——これらが「現代アメリカ」への批評として機能している。 ホアキン・フェニックスの演技は映画史に残る水準だ。撮影に向けて23キロを落とした彼の身体は、アーサーの社会的排除と身体的虚弱を視覚的に体現する。笑いが止まらない神経症の演技、バスや廊下での自分を見失ったような動き、最後の変容のシーンでの圧倒的な存在感——細部まで計算された身体表現は、役者という職業の可能性を更新した。特に鏡の前で自分の顔を引き上げ微笑みを作るシーンの空虚さ、コメディクラブでのステージのシーンの痛々しさは、長く記憶に残る。 映像設計も精巧だ。1970〜80年代のニューヨークを再現したクラシックな街角、フィルム・ノワール的な光と影の構成、サントラにフランク・シナトラやチャーリー・チャップリンを引用するセンス——これらが「アメリカの病」という物語の背景を形成する。アーサーが初めて「ジョーカー」として動き出す階段でのダンスシーンは、変容の喜びと自己破壊の共存を視覚化した映画史に残るシーンだ。 深刻な社会問題(メンタルヘルス、格差、メディアの扇動)をフィクションを通じて考えたい人、複雑な道徳的問いのある映画に向き合える人、スーパーヒーロー映画を「アカデミー賞映画」として体験したい人に推薦できる。精神的に重い内容を含むため、体調や気分に応じて視聴タイミングを選ぶことを薦める。続篇「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」も参照されたい。 各種配信サービスで視聴可能。単なる「スーパーヴィランの起源話」ではなく、現代社会の鏡として向き合ってほしい一本だ。 ホアキン・フェニックスはこの役のために1年以上かけて準備した。彼の演技の核にあるのは「笑いが止まらない」という神経症だ——最も悲しく傷ついている瞬間に笑いが出るという逆説が、アーサーの存在の根幹的な悲劇を表現している。笑いが恐怖になり、恐怖が解放になる——その倒錯のプロセスを体で表現する彼の身体的演技は、役者の身体がいかに複雑な感情の道具となりうるかを証明した。笑いと狂気、社会の排除と自己解放——アーサーが「ジョーカー」になることで初めて感じる「自分がいる」という感覚の倒錯した解放感こそ、本作が訴える社会への問いの核心だ。

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