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キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン
2023
AIレビュー
マーティン・スコセッシが86歳を前に放った「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」は、彼のキャリアの中でも最も重い作品であり、同時にアメリカ映画史における最も誠実な歴史的証言のひとつだ。3時間26分という上映時間は、この犯罪の全貌と、それが引き起こした民族的悲劇の規模を語るために必要な時間として、この映画を見終えると了解される。
物語の舞台は1920年代のオクラホマ州オーセージ郡。石油の発見によって莫大な富を得たオーセージ族は、当時アメリカで最も豊かな民族集団のひとつだった。その富に目をつけた白人たちは、オーセージの土地と財産を横取りするために、組織的な殺害計画を実行する——いわゆる「オーセージ族連続殺人事件」だ。現代における組織犯罪や人種差別の原型を告発するこの物語は、過去の話として消費することを許さない現在性を持っている。
デヴィッド・グランの原作ノンフィクションをスコセッシとエリック・ロスが脚色した本作で、特筆すべきは語りの視点の選択だ。FBIの捜査官の視点から物語を語るのではなく、加害者側であるアーネスト・バークハート(レオナルド・ディカプリオ)を通じて事件を追う構造を選んだ。この選択は道徳的に不快感を与えるが、それが意図だ。アーネストは悪の申し子ではなく、伯父のウィリアム・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)の操作に従いながら、自分が愛するオーセージ女性モリー(リリー・グラッドストーン)を傷つけ続ける矛盾した男だ。この「凡庸な悪」の描写が本作の最も刺さる部分だ。
リリー・グラッドストーンは本作の真の主役だ。アカデミー主演女優賞にノミネートされた彼女の演技は、台詞の少なさの中に最大の感情的深度を宿している。モリーが経験する喪失——家族、信頼、健康、そして最終的には自分の物語の主体性——を、グラッドストーンは微細な身体表現だけで表現する。オーセージ族の文化的誇りと、それが白人の陰謀によって組織的に壊されていく過程の体現として、グラッドストーンの演技は映画史に残る。
音楽を担当したロビー・ロバートソンは、「ザ・バンド」のギタリストとしてロック史に名を刻んだ人物だ。彼は本作のスコアを完成させた直後、2023年8月に77歳で世を去った。ネイティブアメリカンの音楽的要素と映画音楽の文法を融合させた彼の最後の仕事は、スコセッシとの長年の協力関係の最後の証言として、格別の重さを持つ。
映画のエピローグは大胆だ。スコセッシ自身がドキュメンタリー的な文脈で登場し、事件を現在の視点から位置づける。これは「これは過去の話ではなく、現在も続く問題だ」というメッセージを込めた意図的な逸脱だ。オーセージ族の人々が映画制作に深く関わり、撮影前に長期間の協議が行われた事実も、この作品の誠実さを証明している。
「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」はエンターテインメントとして消費するには重すぎる。しかし、アメリカという国家の暗部と現在も続くその影を知りたい人、スコセッシという巨匠の遺言的作品を体験したい人には、最も重要な映画のひとつとして推薦できる。
この映画の長さに尻込みする人には、こう伝えたい——「3時間26分は長いが、長く感じない」と。スコセッシの演出は視聴者を常に画面に引きつけ、停滞する時間を作らない。また、Netflixではなく映画館での体験を推薦する理由のひとつは、この映画の規模感がスクリーンの大きさと音響に支えられているためだ。オーセージ族の物語が、アメリカの教科書に書かれるべき歴史として、映画というメディアで永遠に残ったことの意義は大きい。
スコセッシはこの映画で、観客自身にも問いを突きつけている——あなたは善意の仮面を被った悪意に気づけるか、と。アーネストは悪人ではない。しかしその「善意」が何百人もの命を奪った。この構造こそが本作を単なる歴史映画ではなく、現代の倫理的鏡として機能させている。
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傑作考えさせられる歴史の証言重厚スコセッシ



