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リプリー
Ripley
2024年·ドラマ·シーズン1·★ 8.2
スリラー犯罪
あらすじ
詐欺師トム・リプリーは、富裕な男の依頼でイタリアに向かい、放蕩息子を連れ戻そうとする。しかしリプリーの真の目的はその青年の人生を盗み取ることだった。パトリシア・ハイスミスの小説「太陽がいっぱい」をスティーヴン・ザイリアンが8エピソードで映像化。全編モノクロで撮影された芸術的犯罪スリラー。
AIレビュー
パトリシア・ハイスミスの同名小説を原作に、スティーヴン・ザイリアンが制作したNetflixドラマ「リプリー」(2024年)は、現代映像作品における「美的過剰」の頂点に位置する。白黒映像を全編に渡って貫いた選択は、単なる様式的な遊びではなく、作品のテーマと完全に一致した必然的な決断だ。
物語はニューヨークの詐欺師トム・リプリー(アンドリュー・スコット)が、富裕層の息子ディッキー・グリーンリーフを探してイタリアに渡るところから始まる。ディッキーの父から「息子をアメリカに連れ戻してほしい」と依頼されたリプリーは、イタリアのリゾート地でディッキーとその恋人マルジーに近づく。そして彼は「別の誰かになること」の誘惑に抗えなくなる。リプリーの欲望は性的なものでも金銭的なものでもなく、「アイデンティティそのもの」への渇望だ——これがハイスミスの天才だ。
アンドリュー・スコットのリプリーは、過去の映画版(アラン・ドロン、マット・デイモン)とは根本から異なる解釈を提示する。彼が演じるのは魅力的なソシオパスではなく、冷徹で計算高い職人だ。感情を見せない目、緊迫した状況での驚くほどの沈着さ——それが恐ろしいのは、彼の行動が「悪」ではなく「仕事」として処理されるからだ。殺人の後に淡々と遺体を処理するシーンは、「悪の凡庸さ」を最も精密に映像化した場面のひとつだ。
スコット・エリクソンによる撮影がこの作品を映像芸術の域に引き上げる。1960年代イタリア——アマルフィ海岸、ローマの石畳、ナポリの路地、シチリアの荒野——の光と影が、白黒映像の中で息をのむほど美しく切り取られる。カメラの動きは最小限で、構図のひとつひとつが静止画として成立する完成度だ。チャーリー・チャップリンの時代のフィルム・ノワールへの敬意と、現代的な心理描写の融合がここにある。色彩を剥奪することで、「美しさ」と「腐敗」が同じ質感を持つ——これが白黒選択の根拠だ。
ペーシングは意図的に「遅い」。全8話で1話約60分、展開を急がず、リプリーの計算と不安を丁寧に追う。これは現代のストリーミング作品の「速さへの強迫」への意識的な抵抗だ。死体をどう処理するかに費やされる長い時間は、「完全犯罪の難しさ」を通じて緊張の連続を体験させる。観る者は「いつバレるか」を待ち続けながら、それがなかなか来ないことへの奇妙な安堵と不安を交互に感じる。
マルジー役のダコタ・ファニングも重要な存在だ。リプリーの正体に徐々に気づいていく彼女の視線が、物語の外側で真実を知っているもう一人の語り手として機能する。二人の間に流れる「どこまで知っているか」というサスペンスが作品の通奏低音だ。
1999年映画版「リプリー」(アンソニー・ミンゲラ監督)は色彩豊かなイタリアの美を前面に出したのに対し、本作は内面の暗闇を視覚化するために意図的にその「色」を奪った。どちらも原作の異なる側面を引き出した好例だ。Netflix独占配信(日本ではU-NEXTでも視聴可能)。字幕版推奨。TV画面のコントラスト設定を整えてから視聴すると、白黒の陰影を最大限に楽しめる。
原作小説「リプリー」シリーズはパトリシア・ハイスミスが5作品書いており、本ドラマは第1作「太陽がいっぱい」の映像化だ。1960年映画版(アラン・ドロン主演)が「美しいが軽い」とすれば、本作は「暗く重い」。どちらが「正しい」解釈かではなく、異なる時代の異なる不安がリプリーという鏡に投影されている。2024年版のリプリーは「誰かになりたいという欲望」が、現代の「自己ブランディング」や「ソーシャルメディアの自己演出」文化と共鳴する形で描かれており、原作の「永遠性」を改めて証明している。
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モノクロ心理スリラー犯罪イタリアアートドラマ




