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わたしは最悪。

2021

わたしは最悪。

Verdens verste menneske

2021·映画·128·7.9

あらすじ

30歳の女性が職業も恋愛も揺れ動きながら自分の人生を模索する。ノルウェー発、カンヌ脚本賞受賞の鮮やかな青春映画。

AIレビュー

ヨアキム・トリエ(「テルマ」「オスロ、8月31日」)が2021年カンヌ映画祭に出品し脚本賞を受賞した「わたしは最悪。」は、「成熟」というものが直線的ではないことを知っている人すべてに刺さる映画だ。その邦題の潔さ——「最悪」という自己批判の言葉を素直に掲げること——が、作品の誠実さを象徴している。自分が最悪だと思える人間は、実は深く自分と向き合っているという逆説を、この映画は軽やかに証明する。 主人公ユリア(レナーテ・レインスヴェ)は30歳のノルウェー人女性だ。医学部を中退してから写真家になり、作家になり、書店員になり——何者かになることへの焦りと、「何でもいい」という無関心が同時に存在する。恋人は有名な漫画家(アンデシュ・ダニエルセン・リー)で優しいが、年の差と人生設計の違いが微妙な摩擦を生む。そこに現れる別の男性(ハーバート・ノードラム)との出会いが、ユリアの選択を加速させる。 映画は12の「章」と序章・終章で構成される。この構造は小説的であり、ユリアの人生の「断章」として各エピソードを完結させることで、成長の連続性よりも揺れの繰り返しを強調している。ある章では軽妙なコメディが展開し、次の章では静かな悲劇が訪れる。この温度差のある章立てが「人生はジャンルを選ばない」という感覚を体験させる。特に序章から第3章にかけての、ユリアが自分の夢を次々に試す場面の軽やかな速度感は、本作の語り口の特質を最もよく示している。 本作の核心的な問いは「自分の人生の主体であることとはどういうことか」だ。ユリアは常に何かを「試す」。職業を試し、関係を試し、自分自身を試す。この試行を「最悪」と呼ぶことは簡単だが、映画はその試行の切実さと誠実さを同時に提示する。彼女は流されているのではなく、過剰なほど真剣に自分の人生と向き合っているからこそ決められないのだ。ノルウェーのフェミニズムの文脈では、「自己実現できる女性が幸福であるべき」という規範への不服従として読むこともできる。 レナーテ・レインスヴェの演技はカンヌで女優賞を受賞した。彼女の特質は「ユリアの矛盾を矛盾のまま体現する」ことで、共感と距離感を同時に成立させている。特にある男性と過ごす一夜のシーン——町全体の時間が止まる超現実的な演出——は本作の魔法の核心だ。現実がわずかに歪んで、感情の真実が表に出てくる瞬間。この演出は映画にしかできない種類の詩だ。 キャスパー・トゥイット・クリステンセンが演じる漫画家の物語終盤での変化が、映画に予期しない深みを加える。この展開が感情的に強すぎると感じる観客もいるかもしれないが、その不均衡さ自体が人生の実相の反映でもある。成熟は突然やって来ない。喪失と直面したとき、人は選択を強いられる。 「わたしは最悪。」は30代を生きる女性に最も直接的に語りかけるが、「まだ何者でもない」感覚を持つあらゆる人に届く。スカンジナビア映画らしい抑制と詩情の中に、笑いと悲しみが等量で溶け合っている。ノルウェー語映画として、字幕で見ることを推薦する。 本作が北欧映画として特別なのは、スカンジナビア的な「自由」と「孤独」の概念が物語の空気に溶け込んでいる点だ。選択の自由が豊かにある社会で、なぜ人は「決められない」のか——ユリアの揺れは個人の弱さではなく、選択肢が多すぎる時代の普遍的な症状として描かれる。映画の結末は閉じていない。ユリアが「次に何をするか」は観客に委ねられており、それが映画を見終えた後も頭に残り続ける仕掛けになっている。ノルウェー映画として字幕で見ることを推薦する。 ヨアキム・トリアーはユリアの物語を通じて、「選ばないことも一つの選択」という真実を穏やかに映し出す。そのメッセージは刺さらないが、じわりと後に残る。

どこで見れる?(見放題)

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考えさせられる笑える泣ける名作女性主人公

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